2020年2月21日|
CREATOR

チームヤムヤムと十勝のつくり手たち:アニーさん前編

チーム ヤムヤムと十勝のつくり手たち

十勝・中札内村に暮らすチームヤムヤムが案内する
ローカルクリエイターの生活とその背景にあるストーリー。



中村大史(前編)

Location
十勝・東京

Genre
音楽家

音楽を連れて旅をする


僕らがはじめてアニーさんに出会ったのは、帯広で開かれた小さな演奏会だった。古い煉瓦の建物に囲まれた中庭に流れる、彼のバンド、John John Festivalの音楽。雑貨や食べ物など地元のお店も出店し、大人も子どもも思い思いに楽しむその光景は、どこかの旅先で出会ったかのような、なつかしく温かい雰囲気にあふれていた。

中村大史、通称「annie(アニー)」。北海道十勝に生まれ育ち、音楽家として現在東京を拠点に活動。アイルランド音楽をベースにした、John John Festival、tricolorをはじめ、複数のバンドのメンバーやサポートとして演奏する。使う楽器は、ギター、ブズーキ、アコーディオン、マンドリン、バンジョー、ハープなど10種類以上。1年の半分以上をツアーやライブ活動に費やし、故郷である北海道にも年に数度訪れる。



アイルランド音楽は“飲み会”に似てる


以前アニーさんが、「アイルランド音楽のセッションは、飲み会に似てるんです」と話してくれたことがあった。一人が演奏を始めると、まわりの人がそれに合わせて楽器を奏でる。次に別の誰かが弾き始めると、音楽の輪はそれに合わせて響きを変えていく。それはあたかも、いろいろな話が飛び交い、会話の輪が移り広がっていく、“飲み会”での人々の関わり方のようだという。「セッションでは一人が弾き始めたら、その人のペースを尊重しつつ、でも後ろに下がりすぎたりせずに協力し合う。みんなが楽しい気持ちで参加できるように、演奏の質だけ求めて場の空気を悪くしたりしない、というのもセッションでは大事にされています」

アイルランド音楽とは、アイルランド地方の人々に受け継がれる、フィドルやティンホイッスルなどの楽器を使って演奏される伝統音楽。パブに集まった人々によるセッション(数人で合奏すること)を演奏のベースとし、楽譜はなく口承で伝えられてきた民衆の音楽だ。聴衆はビールを手に、体を揺らし、踊りながら、店の一角で繰り広げられるセッションに参加する。演奏者と聞き手という境界を超えて、楽器の音と人々のざわめきとが一体となってその場を満たす。

アニーさんは演奏しながら、自分の音と周りの音のバランスや、共演する人たちの気持ちのいいテンポを探り、常に笑顔で周りのメンバーに常に目を配る。彼にとっては、お客の表情もライブを構成する大事な要素であり、その空間にどのような音が響いているかを考える。コミュニティや場づくりという言葉が注目される昨今、各地で盛んに開かれるフェスやイベントにも音楽は欠かせない要素として位置づけられている。国内外のいろいろな場に音楽とともに旅をするアニーさんが、自身の音楽を通して「つくりたいもの」とは何だろうか。



スケート少年から音楽の道へ


生まれは本別町。ピアノを教えていた祖母や、音楽教師だった母の影響もあり、幼少期からピアノや音楽に親しんでいた。8歳の時に幕別町札内に移り、高校卒業までを過ごした。その頃打ち込んでいたのは、スピードスケート。小学校のスポーツ少年団にはじまり、中学では十勝選抜チームに参加。全国大会に出場するほどの実力だった。

「世の中は広いと感じ始めた頃ですね。足の速い人、ピアノの上手い人はたくさんいるんだなって。中学の時、24人まで全国大会に行けるという試合で、24位に入れたんです。それで、自分でもみんなと同じ舞台に立てるんだなって。でも、25位が一緒に練習していた友だちで、その時のことを今でもすごく覚えていて……」

高校では、冬はスピードスケート、夏は陸上と、スポーツに打ち込んだ。一方で音楽についても、文化祭やクラブでのサポート役としてその特技を発揮した。「文化祭では、友達のステージのピアノの伴奏として参加したり、女子しかいなかった合唱部の友だちに、混声やろうよと誘われて、僕が男子5人集めて一緒に参加したりと、音楽は楽しいところで関わっていました」

音楽の道を選んだのは、大学進学を考えた時だった。「スポーツで結果を残したいとやってきたけれど、それをやめるなら、せっかくなら自分の面白いと思うことをやりたいと思って。音楽は自分にとってわかりやすく楽しそうで、広い世界に続いているように見えたんです。それでまずは飛び込んでみようと」

卒業後は、東京芸術大学音楽環境創造科に進学。初めての環境で音楽を学び、出会いを経験する中で受けた刺激は大きかった。当時若手のアイリッシュバンドの活動が盛んになりはじめた頃でもあり、大学2年の時にできたアイルランド音楽のサークルに友人に誘われて参加。ギターやアコーディオンを携え、ステージでの演奏の機会も増えていった。

「大学4年になって、周りには就職や進学をする人も多かったけど、僕は自分が取り組んでいる音楽が少しずつ社会に認識されて拡がっていく様がすごく面白くて、まだ続けたいと思ったんです」。卒業前後の数年の期間に、momo椿*、O’Jizo、tricolor、John John Festivalなどのバンドを結成。テーマパークのステージやカフェでのライブなど、定期的な演奏の機会を得ながら音楽活動を広げていく。今から10年ほど前、この時期に出会ったバンドや音楽家たちは、その後のアニーさんの活動の軸となり展開していった。

ますやパン麦音(帯広市)の庭で行われた、John John Festivalによるライブ風景。




出会いから生まれる音楽


いわゆる音楽バンドというと、メンバーは固定されていて、複数のバンドへの参加はしないというイメージを僕らは持っていた。しかし、アニーさんを取り巻くアイルランド音楽の世界では、今週はこのバンド、来週はこのバンドというように、いくつものバンドを掛け持ちしているのも普通だ。いろいろな人の助っ人として演奏したり、レコーディングに参加したりと、状況に応じて演奏するメンバーも流動的なことも多い。「メンバーそれぞれが得意なところ、他のところで培ってきたものを持ち寄って、その日のステージに立つ。その相性を伸ばしながら、お互いの力を発揮する。認め合えるし、許し合える。そんな関係が成立しているんだと思います」

演奏する場所も、ホールをはじめ、カフェや雑貨店、学校や児童施設、お祭りや野外フェス、結婚式やパーティなど、屋内・屋外、そのバリエーションは幅広い。その空間やお客の雰囲気に合わせて、曲のセレクトはもちろん、演奏の形態さえも考えてその場に臨む。数人でテーブルを囲んで演奏し、アイルランドのセッションの光景を再現したこともあった。「いろんな雰囲気で演奏できる音楽をやっているから、いろんな場所で音楽に触れてもらえるのは、僕らのスタイルならではだと思っています」

誰かと一緒に一つの場をつくっていくことは、丁寧なやりとりや信頼があってのことで、簡単にできることではない。しかしだからこそ、こうした音楽を取り巻くオープンな関係性は、アニーさん自身のスタイルにしっくりきているように思えた。振り返れば高校時代、楽しさ優先で取り組んだ音楽は、友人のステージのピアノ伴奏だったり、人を集めて参加した混声合唱だったりと、人との出会いから生まれる楽しさの中ににあった。出会いの中でお互いに作用し合い、広がっていくボーダレスな音楽の世界に、今でも彼は生きる上でのモチベーションを今でも求めているのかもしれない。

音楽も演奏の場も、やるべきことを見極め、それぞれの関係を大事にしながら、いろいろな人と想いを重ねてつくっていく。いくつものバンドやプロジェクトが並行し、多いときではひと月のほとんどをツアーやライブに費やす。そのスケジュールを組むのは、果てしない作業であるのは想像に難くない。「忙しいときは、ひとつひとつやっていくだけだよね、が合言葉だったりもします(笑)。ツアーの最中は、移動して演奏して、打ち上げをしてという繰り返しになったりもするけど、各地のいろんな場所の魅力的な人やお店、そこのコミュニティに出会うことができて、そういう中で演奏できることが恵まれているんだなって思っています」

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